金曜日, 9月 29, 2006

リアル(現実)とモデル(本質)、連続と離散、実数と自然数、無限と有限、大脳と割り切れなさ

現実を抽象化して、本質だけを抜き出したモデルを用いて、現象を研究する方法があります。
つまり、モデルは現実ではありません。本質は現実ではないことになります。
プラトンのイデアでは、我々の済む現実は、本質の影ということになっています。

Wikipedia:イデア論

私は、この世は時間も空間も連続に感じます(現実)。しかし、本質的にはどうだか怪しいものです。
目に見えない微小な世界、量子力学、素粒子の世界では、あるスケール(目盛りのようなもの)より小さくなると、
どうなっているのかわからないことになっています。つまり、連続なのか離散なのか、あるのかないのかわからないのです。

身の回りには、指折り数えることができるものと、割り切ることのできないものがあります。
葡萄の実はいくつと数えられますが、まーるいケーキはみんなで食べるには、割らなければ
なりませんが、正確に均等に割り切ることはできません。(だから、兄弟ゲンカは、
いつまでたってもなくならないのです)

たとえ、どんなにたくさんだろうとも太陽系に存在する原子の数は、有限です。
どんなに近くても0と1間には、無限個の数が存在します。

どんなにつらくても、どんなに楽しくても、いつか必ず終わりがやってきます。
なのに、私達の脳はそれがわかっていても、割り切ることができません。

切ない季節、秋です。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

それでも割り切って生きていかなきゃならんのよ。つらいわー。

akishi さんのコメント...

> salsaさん
そうですね、割り切って生きてゆかなければイカンのですね。

脳のものを忘れる"機能"は、それでも、行き抜いてゆかなければならない私達の必須アミノ酸みたいなものでしょうか?