水曜日, 12月 27, 2006

何かが必ず起こる

今日の札幌は師走だというのに雨がしとしと降っている。
変な天気だなぁと思っていたら、振り返ってみると
今年の北海道は気候がおかしな一年だったのではないかと思った。

夏は、10月の上旬まで暑かったし、
冬になってもあまり雪が降らないし、
今日にあっては、雨まで降るし...。

とはいっても過去の北海道の気候をよく知らないので、
北海道のみなさんの言うことからの推測にすぎないけれど...。

この時期振り返ってみるのは、大抵その年の気候だけではなくて、
むしろ自分の周りでおこったことだろう。
いやはや、今年もたくさんのことが起こった。
なにより、人との出会いがものすごく多く、そしてクレイジーだった。

大学という『場所』のすごさを思い知った。
大学には、さまざまな人が集まる。
彼らひとりひとりが当然の如く、それぞれことなる思い、目的を
もってここに集う。

始まりと終わりがそれぞれはてしなく遠くはなれている何本もの糸が
大学という『場』で複雑にあからみあって、不思議な幾何学模様を
つくったり、奇妙な同期現象を見せている。
しばしば、何かひとつの目的を達成するために集まった人々のように、
ひとつの生物のように見えることすらある。
(ときがたてば、それぞれの行く先へと別れてゆくのに....)

「人が集まると、どうして何かが必ず起こるのだろうか?」
今年を振り返ると、この疑問にたどり着くために、
全てが仕組まれていたかのようにさえ思えてくる。
ただ、この問に気づいただけだが...。

土曜日, 12月 02, 2006

Perturbation(摂動 せつどう)

先生が走る時期になりました。
札幌もやっと雪が積もり始め
(今年はとても遅いようです)、
雪国らしくなってきました。


北海道の冬は(実は)初めてではありませんが、
札幌の冬は初めてです。
失敗を恐れず、挑戦する冬にしたいですね。
(何言ってんだ?)

すこし前に「ゆれる」という映画が私のまわりで話題になりました。
私は見ていないのですが、
みなさんの評価がともて良かったのが
記憶に残っています。(いつか見よう、いつか....)

この映画「ゆれる」は、
英語で言うとvibrationになるのでしょうか。
vibrationには「振動」という意味の他に
「(心の)動揺、迷い」という意味もあるようです。
これでもある程度、映画のテーマをあらわしていますが、
(物理かぶれの)
私なら英題を"Perturbation"にしたいですね。

このperturbationという英単語は、perturb
という動詞を名詞化したものです。
perturbには、
1.<人>の心をひどくかき乱す
2.<物・事>を混乱させる
という意味があります
(大修館 ジーニアス英和辞典より)。
そしてその名詞形 perturbationには、
動揺、ろうばい、不安、心配
という意味があります(同辞典)。

うむ、とてもよく映画「ゆれる」の雰囲気を表した
英単語だと思いませんか?

さて、物理の世界ではこのperturbationがよく
出てきます。
物理現象を「動揺させる」のです。
そしてそれを物理屋は、摂動(せつどう)と呼びます。
物理屋は、この世の法則を解明、発見することが仕事
です。摂動はその手段の一つです。
イメージはとても簡単です。

あなたは今、トッレキング(山歩き)に来ています。
今日は杖を持って歩こうと思い、
その辺に落ちているお手ごろな枝を探しています。
ちょうど良い枝がありました。
(ちょっと待って!)
どうしてあなたは、その枝がちょうど良いと
思ったのでしょう。

きっと見た目(大きさ、長さ、太さ、汚れなど)と
持ったときの感じ(重さ)からではないでしょうか。
そこで用心深い人は、振ってみたり、曲げてみたり
して、その枝の丈夫さを確かめるでしょう。

まさにこの「振ってみる」「曲げてみる」ことが
摂動をあたえる(動揺させる)ことです。
つまり、
見たり、持ったりした(安定して存在した状態)
からだけではわからない性質を調べる方法なのです。

感情なんて一見ないような
(おいおい、良く見たらあるんかい!)
身の回りに物理現象に
perturbation(動揺させる)
なんて言葉を使うなんて面白いですよね。

でも以外と的を得た言葉使いかなとも思います。
たとえば、私達 ヒトは動揺したときや心配事が
あるとき、素の自分や本音をこぼしてしまうことが
あります。
いつも大人しい人が追い詰められると、
とても攻撃的になったり。
いつも調子の良い明るい人が、元気がなかったり。
いつもの落ち着いた状況だけでは垣間見ることの
できない意外な一面がperturbationによって
表出することがあります。

そしてときに、そのperturtabationは、
八方塞がりになっていた環境(local minimum)
から新たな高み(global minimun)へ
押し上げてくれることもあります
(もちろん、その逆もありますが....)。

この冬、自分にperturbationをどんどんあたえて
まだ見ぬ自分に出会う季節にしてみるのは
いかがでしょうか。

失敗を恐れず、挑戦する冬にしたいなぁ...。

日曜日, 11月 12, 2006

サイエンス・カフェ強化月間

11月10日(金) 第14回サイエンス・カフェ札幌 「色の見え方いろいろ(色覚の多様性とカラーユニバーサルデザイン」 (の(CoSTEP応援団として)お手伝い。ありゃりゃりゃ、すごい人だかりになっていました。今回のテーマにたいする市民のみなさんの興味の高さを思い知りました。うむ。

11月11日(土) CoSTEPとSTS学会共催のサイエンスカフェ 「必ず来る大地震! 無傷で生き残るには?」の(CoSTEP応援団として)お手伝い。ゲストの福和さん(名古屋大学教授 建築耐震工学)のお話がとおても面白かったです。

11月18日(土) ペンギンカフェの司会進行の大役を仰せつかりました。ありがたや、ありがたや、南無ナム orz。

11月24日(金)、11月25日(土) 我らがRicafe第4回、Ricafe出前編 24日は「無限を数えよう!」(北大 遠友学舎、18:00から19:30)、25日は「身の回りの面白科学(イグノーベル賞)」(中島児童会館(中島公園内) 14:00-15:30)です。みなさま、ぜひご参加ください。

雨だ 霙(みぞれ)だ 嵐がやってきた

とうとう本格的な雪の季節(冬)の到来だろうか。
札幌の友人が、「冬が来る前に嵐が来る」とっていた。
今週の天気予報を見ても、「雪マーク」。
今日の嵐は、冬の訪れを告げる「かんたろう(寒太郎?)」でしょうか。

日曜日, 10月 29, 2006

マイクロファイナンス、マイクロクレジット

"イグノーベル賞"ではなくて、
本家本元の"ノーベル平和賞(Nobel Peace Prize 2006)"の話し

僕は、
Sustainable Development(ここでは、環境と開発という視点しか紹介していない)へ繋がる
Comunity Currency(CCWiki (Community Currency Wiki より))の世界を
楽しませてもらっている。

また"Sustainable Development"に繋がる楽しみが一つの増えた。
それが「マイクロファイナンス、マイクロクレジット」。
"何じゃそりゃ?!"
see
イクロファイナンスと、高利貸しのポジティブな役割 ----バングラデシュのグラミン銀行の場合(山形浩生の『ケイザイ2.0』より)




要は、貧しい人達の為のうまい金の貸し方 なのだ。
ムハマド・ユヌス氏(バングラデシュにあるグラミン銀行総裁)は、
マイクロクレジットを実践し、2006年のノーベル平和賞を受賞した。
see
The Nobel Peace Prize 2006

山形浩生 の「経済のトリセツ」

わかりやすく、そして偉大なノーベル平和賞である。

3rd Ricafe "Ig Noble Prize"

昨日、今日とぽっかと暖かい札幌です。
キャンパス内の木木の紅葉は、今まさに見頃です。
多くの市民、観光客が紅葉狩りをしています。
これだけ、いわゆる大学関係者以外の人が
キャンパスにいるのを見たのは初めてです。

当然ながら、この現象は毎年のことだそうです。

そんな日和に、
第3回 我らが Ricafe "「イグノーベル賞」の科学
- こんな科学もあり!? -"
を開催しました。

今回の僕の(僕達の?)狙いは、「イグノーベル賞」を紹介することでした。
イグノーベル賞には、
僕の大好きなブラックなジョークやとっても真面目なのに笑える科学が
盛り沢山です。

興味を持たれた方は、以下のWebをのぞいて見てください。

Improbable Research(イグノーベル賞を発表している団体)


WikiPedia イグノーベル賞(ja)


WikiPedia Ig Nobel Prize(en)

今年のイグノーベル賞は、受賞は終わってしまったので、
来年の受賞を僕なりに予想してみました。

環境・エネルギー賞:
米現大統領とその周辺の人々
理由:
イラク戦争などにより、石油の高騰をまねき、
脱炭素エネルギー・省エネルギー 技術開発を
促進したことに対して

平和賞:
将軍さま
理由:
これから来る冬に備えて、
日本国民にすばやく、手軽に、大量に、直接的に
熱エネルギーを供給するための試験を行ったことに対して

p.s.
御来場のみなさま、誠にありがとうございました。
Y姉さんありがと!
Ricafeのみんな、お疲れちゃ〜ん!

月曜日, 10月 23, 2006

紅葉燃える冬来なりしか

今朝の札幌の予想最高気温は、10°Cでした。
いつもとちがう道から登校していたら、
燃えるように赤い紅葉を見ることが出来ました。

日に日に寒く、寂しくなる今日この頃ですが、
長い冬を乗り越える為に、Playfulな遊びを
いろいろと計画することにしよう。
遊びのアイディア、一緒に遊んでくれる人募集中です。

土曜日, 10月 07, 2006

BOOK ヤバいぜっ!デジタル日本 -ハイブリッド・スタイルのススメ-

高城 剛 (著)
amazon

人にすすめられて読んでみた。僕には読んでいるだけでわくわくする本だった。
何より、『もっともっとみんな、作って、自分を自由に表現して、楽しもう!
それを僕達の文化にしよう』ってメッセージがとっても気持の良いメッセージ
に聞こえた。

著者は言う、これからの日本が世界に発信して行くべきものは、「スタイル」
だと。「スタイル」?それについては、本書をよんでいただくことにしよう。

だた、気になったことは、すくなくとも今まで日本の勢いを支えて来た「科学」
や「技術」といった世界を彼のいう「スタイル」にどうのように、「ハイブリッ
ド」や「コピー&ペースト」でスタイルにして行くのかビジョンが見えなかっ
た。

「科学」は今やもっとも古典的な世界だ。COOLだとか見るものの気持がいいだとか、経済
性だとかいう感覚すら、以前はまったく求められていなかった。少なくとも多
くの日本の研究者はそういった世界の住人である。

金曜日, 10月 06, 2006

Second Story

つい昨日のことだ、研究室の先輩と僕達の研究の未来を語り合った。
とっても大事なことばかりだった。
ただ今日はそのほんの一部、そして Research, Education and Cultuerとして、とっても
Creativeな話を紹介しよう。

僕等の研究対象は"脳"だけれど、手に取って見ることができないよね。
どうにかならないかな?
結論、脳の地図を作ろう! 脳の解剖学、生理学のデータを集積して、Virtual Brain Ma
pを作ろう! なんて構想(妄想?)が浮かんできた。

さてさて、Virtual Brain Mapを作るにはどうすればいいのだろうか?とりあえず、どれ
だけの”お金”がかかるのか調べてみることにした。

"脳""CG"といえば、"NHKスペシャル 人体 part-II 驚異の小宇宙 脳と心 " でしょう
と思った。人から聞いた話だけれど、あのCGは、"1秒1万円"位で作られているのだそうだ


ありゃー、おったまげたね。大変お値段が張ること。こんなんでは、国かGoogleでも動か
さないとできないでないかと思ったわけです。

ここからは、Second Story。
博物館の展示などは、いったいどれくらいの費用で作られていて、どこがつくっているの
だろうか?とWebをサーフィンしていたら、こんなサイトを見付けた。(http://www.secondstory.com/)このサイトは、Second Story
という、双方向メディアコンテンツをつくるスタジオ、つまり、さまざな展示の製作を手
がける会社のHPだ。

まず、なんといってもCOOLだ。PROJECTSを見てみると、多くの博物館や美術館のHPや展示
を手がけている。STUDIOを見ると、PROGRAMMERが結構いる。現代のCreativeな仕事がComp
uterなしでは、できないことを如実に表してる。でも、日本ではあまりこういった仕事で
PROGRAMMERの顔が見えることってないなぁ。

金曜日, 9月 29, 2006

リアル(現実)とモデル(本質)、連続と離散、実数と自然数、無限と有限、大脳と割り切れなさ

現実を抽象化して、本質だけを抜き出したモデルを用いて、現象を研究する方法があります。
つまり、モデルは現実ではありません。本質は現実ではないことになります。
プラトンのイデアでは、我々の済む現実は、本質の影ということになっています。

Wikipedia:イデア論

私は、この世は時間も空間も連続に感じます(現実)。しかし、本質的にはどうだか怪しいものです。
目に見えない微小な世界、量子力学、素粒子の世界では、あるスケール(目盛りのようなもの)より小さくなると、
どうなっているのかわからないことになっています。つまり、連続なのか離散なのか、あるのかないのかわからないのです。

身の回りには、指折り数えることができるものと、割り切ることのできないものがあります。
葡萄の実はいくつと数えられますが、まーるいケーキはみんなで食べるには、割らなければ
なりませんが、正確に均等に割り切ることはできません。(だから、兄弟ゲンカは、
いつまでたってもなくならないのです)

たとえ、どんなにたくさんだろうとも太陽系に存在する原子の数は、有限です。
どんなに近くても0と1間には、無限個の数が存在します。

どんなにつらくても、どんなに楽しくても、いつか必ず終わりがやってきます。
なのに、私達の脳はそれがわかっていても、割り切ることができません。

切ない季節、秋です。

月曜日, 9月 25, 2006

BBQ日和

昨日は、研究室でBBQ。
VisitorやFamilyやら、わらわらみんな集まって、総勢十数人。

秋と言えば、食欲の秋。
秋刀魚、サーモン、なす、ビール、ワイン....。

食ったー。しめて、一人1400円。こりゃいいわ!



寒すぎぜず、暑くもなく。
すばらしいBBQ日和でした。

火曜日, 9月 19, 2006

『大変なことが起きている』




そう呼ばれて窓の外を見ると、なんと大きな虹。

『虹』という実体はあるのか?

『虹』は、大気中の水滴に太陽の光が屈折されて、
水滴がプリズムの役目を果たして、分れた光(分光)が
七色の光になって見える現象。

結局、『太陽の光』が『虹』の実体なのか、
それとも大気中の『水滴』なのか。

同じ意味で、『影』は実体なのだろうか?

プラトンの『イデア』では、『影』は実体ではないことになっている。

台風一過

今日は、いい日和になりそうです。

月曜日, 9月 18, 2006

HUSCAP

先日(9月16日)のペンギンカフェで、初めてお会いしたHUSさんと
CAPさんがHUSCAP(北大学術成果コレクション)というCOOLなお仕事を
されているのを知りました。

要するにHUSCAPの目的は、研究者の研究成果物を電子化してWebに無料で掲載するのをお手伝いすることの用です。

『おいおい、それのどこがCOOLなのかい?』
そうですよね。今時、研究成果物(大抵、論文)は電子化されて電子ジャーナル(ただし、閲覧などは有料)になっていますよね。

今回、HUSさん、CAPさんに聞いて知ったことなのですが、電子ジャーナルに掲載された論文の著作権は、そのジャーナルを発行している出版社が所有することになっているのだそうです。

つまり、自分の研究成果物である論文の著作権が自分にないってことです。だから、ジャーナルに掲載された自分の論文をコピーして、他人に読んでもらいたくても自由にそれができないことになります。

そこで、研究者の希望があれば、掲載論文を無料公開することを多くのジャーナルの出版社が認めています。そして、それを実際に公開するのを手助けしているのがHUSCAPってわけです。(なるほど)

そうすると、自分の論文を自分でコピーして研究者に配布することができるようになるわけです。(ただし、オリジナル論文のみ)

小生は、Free Software FoundationとかGNUとかCreative CommonsとかがCOOL!で好きなので、HUSCAPにもがんばってもらいたいですね。

しかも、アレゲなNewsサイトSlashdotにもタレコまれていて実は、かなりアレゲだったのです!おそるべし、HUSCAP。Slashdot JAPAN:北大が学術成果コレクションを公開

敬老の日


今日は、台風13号(アジア名:SHANSHAN(サンサン))の影響で札幌も
一日中しとしと雨です。
Happyday Web Radio
のClassical Contemporaryな曲が似合います。
すこしもの寂しげな日です。

どんなにインターネットが発達して、世界が小さくなっても、
現代ではまだ、物理的な距離をこえて、豊かな情報を届ける
までには至っていない。

結局、毎日顔を合わせている方が、多くのことが
伝わるものなのでしょう。今はまだ...。

おじいさん、おばあさん、(いつまでも?)お元気で。

土曜日, 9月 02, 2006

好きなことをやれ! そして、楽しめ!

以前にこのBlog『Wednesday, June 28, 2006 いい話しです。』で、
現Apple ComputerのSteve Jobsのスタンフォード大学の卒業式のスピーチJapanese ver. English ver.を紹介しました。

元気の出る『いい話し』だなぁとそのときは、それだけの理由で紹介したのだけれど。
今日紹介する記事Steve Jobsのスピーチから読み取る自分戦略は、どうしてJobsは卒業式を向かえ、社会に出てゆく若者に『好きなことをやれ!』(元記事の題は、Jobsの「You've got to find what you love.(本当に好きなことを見つけなさい)」という言葉を引用)という、『ありきたりな』メッセージを伝えようとしたのか冷静に分析しています。

結局、"好きこそものの上手なれ"ってことですかね?

金曜日, 9月 01, 2006

秋色 茶 カフェ カフェ・シアンティフィーク(サイエンス・カフェ)

今日の札幌は最高気温が23度で午後6時現在で、21度
明朝は19度まで下がるようです。つまり、『秋』が、
哀愁の『秋』が今年もやってきたのです。
すこし雨までぱらついてきています。

連想ゲームの題からお察しのとおり、
今日もサイエンス・カフェがらみ。
(こればかりやっているわけではないのですが...。)

サイエンス・カフェは、
Ricafe Webでは、
「イギリスで10年前にはじまった」
としか書いてありません。

よりくわしい、歴史が書かれているのを見つけたので、御紹介します。
それは、
カフェ・シアンティフィーク東京
Cafe Scientifiqueとは
書いてありました。一度御覧になってみては。

それにしてもとっても尾洒落なWebです。カックッイー!
(私達もこのカッコよさを真似したいものです)

水曜日, 8月 30, 2006

2nd Ricafe "クマムシ" 平和的ゲリラ作戦

前の日曜日(8月27日)に私達が仲間とやっているサイエンス・カフェ
Ricafe(りかふぇ)の第2回(テーマ:クマムシ)を開いてきました。

とっても天気の良い午後の公園の木陰で、麦茶をすすりながら
奇妙な生き物"クマムシ"を紹介しました。

その日、その公園では3つのイベント(北海道マラソン、
おかあさんコーラス全国大会、Ricafe)が重なって開催されていたので、
たくさんの人達が遊びに来ていました。

Ricafeはゲリラ的な開催だったので、Ricafe目当ての方はおそらく
いないと思っていました。ところが、なんとRicafeを目当てで公園に
来てくれた二人も人がいたのです。

そのうち一人は小学生の男の子。その少年は、"ムシ"が大好きなのだそうです。
先日、公園内の児童館に配ったチラシを見て、楽しみにして来てくれたのです。

あぁー。こんな意外なところからの大っきなプレゼントを受け取ってしまったら、
どうしてお返しをしたらいいのでしょうか?
くそー(下世話な言葉です。良い子は使ってはいけません)、
涙がちょちょぎれそうだぜ!

ありがとう、少年! お兄ちゃん(まだ、おじちゃんではないよ!)は、
もっともっとがんばります。

いつか毎週末どこかの公園の木陰でサイエンス・カフェが
開かれる日が来るまで....。

金曜日, 8月 25, 2006

泊原発の炉心(原子炉圧力容器)は鍛造(たんぞう)

昨日(8月24日)に、北大CoSTEP主催『泊原発見学ツアー』に
参加してきました。すごくたくさんのことを勉強しました。

カオス理論を勉強している身からみた興味深い例を
原発で見つけたので報告。

原発の中でウラン核分裂反応が起こっているところを
炉心(原子炉圧力容器)と呼びます。
泊原発1号、2号機の炉心は、厚さ約15cmステンレス製で
なんと『鍛造(たんぞう)』なのです。

鍛造は鋳造(ちゅうぞう)などに比べ強い(強度の高い)材料が
作れます。

鍛造(Wikipedia): http://ja.wikipedia.org/wiki/鍛造

実は、鍛造やパイこねなどの引き延ばしては、折り畳むことは、
(難しいですが)カオス理論の初期値鋭敏性を利用して、
ものを均一にすることなのです。

初期値鋭敏性: 初期値のごくわずかなずれが、将来の結果に甚大な差を生み出す性質

カオス理論(Wikipedia): http://ja.wikipedia.org/wiki/カオス理論


おそらく、炉心の材料の製法に感動したのは私だけでしょうが。
あぁ、こんなところにもカオスです。
というよりも、カオスは『普通』だということでしょうか?

火曜日, 8月 22, 2006

ペンギンカフェ

「祭」って、ハイな気分になって半狂乱して
全体との一体感を得る行為なら、
それを貪欲に求めている私は、タダの「寂しがりや」か?

さて、成熟した人間の証(?)といえば、「理性」。
「理性」と「野性」のジャズセッション"サイエンス・カフェ:
ペンギンカフェ"に行ってきました。

http://ricafe.blog59.fc2.com/blog-entry-10.html

これがまた、よくできたカフェだったんです。
ゲストも参加者も店の雰囲気もジャジーな対話も。

あんまり物事を冷静に評価できませんが、
あんなカフェを私も作れるようになりたいですね。

土曜日, 8月 19, 2006

BOOK 緒方貞子 - 難民支援の現場から

東野真著 緒方貞子 - 難民支援の現場から 集英社新書
本書には、冷戦終了後の混乱の10年間、国連難民高等弁務官として、
難民の人道支援を指揮した緒方貞子のインタビューが収録されている。
冷戦体制の終結後の頻発する武力紛争、それによる大量の難民発生、
その極限状態で緒方がいかにに考え、決断し、行動したかが記されている。
緒方の創造力、行動力、生命力に感動します。
amazon:
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4087201996/sr=1-1/qid=1155960613/ref=sr_1_1/250-6083796-6309846?ie=UTF8&s=books

BOOK ボランティア もうひとつの情報社会

金子郁容著 ボランティア もうひとつの情報社会 岩波新書
今や災害支援や福祉に限らず、さまざまなところでボランティアが行われている。
どうして私達は、ボランティアという社会活動を受け入れ、採用しつつあるのか?
ボランティアをとおして、人々が新しい形態のネットワークを築いてゆくプロセスが
どうして今、私達の関心を引くのか?筆者は情報社会という観点から捉えようとしている。
amazon:
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4004302358/sr=1-1/qid=1155960543/ref=sr_1_1/250-6083796-6309846?ie=UTF8&s=books

BOOK エンデの遺言 「根本からお金を問うこと」

河村厚徳+グループ現代著 エンデの遺言 「根本からお金を問うこと」NHK出版
「エンデ」は、「モモ」や「ネバーエンディングストーリー」の著者
ミヒャエル・エンデ。エンデは「現在の通貨システムの何をかえるべきなのか」
が、人類が今後の生存にとって決定的な問いだと言います。身の回りある
「お金」、その何に問題があるのでしょうか?どうして私達の未来と生存に
決定的に関わるのでしょうか? 本質的な問題を提起する本です。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4140804963/ref=sr_11_1/250-6083796-6309846?ie=UTF8

BOOK MIND HACKS

Tom Stafford, MattWebb著 夏目大訳 MIND HACKS オライリー・ジャパン
自分の脳をつかって、脳の不思議を体験しよう。何もたいそうな装置は
いらないんです。ただ、実際に自分の体と脳をつかってやってみるだけ。
手始めのお薦めは、p.237 #63「体の各部分の位置を把握する」。きっと、
「えっ!なんでー!」となるはず。そんな楽しい体験が一杯つまっています。
amazon:
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4873112710/sr=8-2/qid=1155960183/ref=sr_1_2/250-6083796-6309846?ie=UTF8&s=gateway

日曜日, 8月 13, 2006

昨日から今日、そして明日へ


夏は猛スピードで過ぎ去ろうとしているようです。
今年は、30度をこえる夏日は両手の指で足りるほどしか
なかったかもしれません。(片手でいいかもしれない)
夕方になれば、心地よい風が吹き抜けて、
夜は、風邪をひかないように気をつけなければいけないでしょう。

この季節は哀愁ですなぁ。

今年もどうやら、「壁」の前に来てしまった。
そういえば、去年も「壁」の前に着いていることに気付いたのは、
この頃だったような気がするなぁ。

全力でぶつかって、乗り越える? 玉砕する?
それとも、「時間」の問題と(いつものように) やり過ごす?

夏の終わり、後の祭。
祭の季節は移りゆく、
俺の祭は、どうやらこれかららしい。

水曜日, 8月 09, 2006

写真


お!やったー、写真を載せられるようになった。
これからは、写真もつけてお送りしたいと思います。

ちなみに、この写真は美瑛の丘にたたずむ研究室のみなさんです。

月曜日, 8月 07, 2006

酒癖

去年、滋賀県大津にいたころから、お酒をよく飲むようになった。
お酒がおいしいと言うよりも、気の置けない友人と一緒に飲むと
とても楽しい。そんなものだった。

しかし、どうやら最近様子が変わってきた。
8/6に札幌大通り公園夏祭りのビアガーデンに行きました。
なんかしらんが、はじまりからチョーハイテンション。
大声で吠えるは、踊るは、暴れるは、しまいにはYMCA西城ヒデキで
まわりのみなさんと大フィーバー!
今になって、振り返ってみるとかなり恥ずかしいヒトになっていました。

つまり、酒癖がとっても悪くなってきています。

ついこのあいだも酔っ払って、店のガラスを割って、
その後、救急車を呼ぶような、荒れた飲み会を友人達とやって
反省したところのなのに….

研究室合宿

8/2から8/4まで、研究室の合宿に行ってきた。
目的は大雪山系旭岳(2290m)登山だった。
あいにくの雨で、登山をすることができなかったけれど、
研究室の親睦が深まったので(と思う)よかった。

日曜日, 7月 23, 2006

遠い(?)数

「有理数からもっとも遠い無理数は黄金数です」と言われたら、
「『遠い』っていったいどういうこと?」と思うのはとても自然。

つまり、
「有理数(互いに素な自然数でなる分数)で近似し難い」ということです。

「おいおい、『し難い』ってどういうことよ?」と言われてしまいますね。

それは、
「ユークリッドの互除法でふたつの自然数の最大公約数を求めとき、
もっとも割算の回数がたくさん必要な最小の自然数の組み合わせで
つくる有理数を求める」ということです。

以外に小さい自然数の組み合わせなのに、計算が手間取るので
『し難い』というわけです。

結局、
以外に小さい自然数なのに、計算が手間取る組み合わせは
『となり合うフィボナッチ数』になります。

『黄金数』は、
n番目の『となり合うフィボナッチ数』でつくる分数の
nを無限大にしたときに求まります。

整理すると、
「求めるのに手間のかかる有理数」
>
「以外に小さい自然数の同士なのに、ユークリッド互除法で
最大公約数を求めるのに割算がたくさん必要な自然数の組合せ、
つまり、となり合うフィボナッチ数でできる分数」
>
「となり合うフィボナッチ数列で作られる有理数は、
黄金数の近似になっている」
>
「その有理数は手間のかかる有理数なので、
黄金数はその最たるものなので、
もっとも有理数から『遠い』無理数になる」

Question:
ユークリッド互除法で求めなかったら『手間』がかからないかもしれない。
それでは『遠い』ことにならないかもしれない。
『遠い』ことを必要十分に説明しなさい。

日曜日, 7月 16, 2006

ふぅ

今週はうでるような暑さの日があった。
私は夏が好きです。
暑いのも結構好きです。
うでうでと暑い日は、だらだらと軒下で涼みながら昼寝などいとをかし。

でも、今週は人生なかでも指折りにかなり忙しい一週間でした。

まず、ヨーク博士が北大で講演をしました。ヨーク博士は、
現在、科学者が「Chaos,カオス」と呼んでいる現象にはじめて
「Chaos,カオス」という言葉を使った人で、何がカオスであるか
という『Li-Yorckの定理』で有名です。
「Chaos,カオス」という考え方で「脳」を研究してみたいと思って
いる私にとって、とっても興味深い講演でした。

3つの講演の内容もさることながら、ヨーク博士の人柄の面白さにとても
感銘を受けました。70才代のおじいちゃんとはおもえないエネルギシュ
さと茶目っけは「Chaos(混沌)」という名付け親をなんとも象徴してい
るように思えました。それは、「Chaos(混沌)」を生き抜くには
「Chaosをたのしめ!」ということを体現しているように私には
見えたからです。


二つめは、「Japanese decision-maiking」と題して
授業でプレゼンテーションをしたことです。人前でプレゼンをしたことなど
ほとんど無かった私には、それだけでどきどきなのに、なんと今回は英語で
のスピーチ。この授業は「Japanese Management」という留学生向けの
日本的経営を勉強する経済学の授業です。
日本の組織、役所、会社での意志決定の方法、システムである「稟議制」と
「根回し」について説明しました。
うーむ、やっぱ台本は必要?それともリハーサルをたくさんやるべきかな?


三つめは、
大学の仲間、サイエンスコミュニケーション仲間で立ち上げた
サイエンスカフェ「Ricafe」の第一回が7/15(土)があり。
(URL:http://ricafe.blog59.fc2.com/)
そのスピーカーを私がやりました。
一週間に3回もリハーサルをやりました。
ほとんぼ「ひどい」内容だったので、その後の手直し等で
かなり手こずりました。
協力してくれたみなさん、ほんとにありがとう。

これらのおかげでほとんど家には帰れなかったです。

やっとおわったー!!

とおもったら、もう7月の中旬。
来週のセミナーの準備(来週は私の番)
授業のレポート、研究室の合宿の準備、
Ricafeの反省書類の作成、来月のRicafeの準備など
やることがもりだくさん。

がんばります。でもとっても元気です。

火曜日, 7月 04, 2006

やっぱみんなすごい、ありがと

近頃、数学の勉学以外でわんやわんやとやっている。

言い出しっぺだから、まず自分がやらなければいかんのに
結局、友達、仲間がせっせと心配してやってくださるのだ。
わたしに任せておいたら、いつまでも終りそうにないのである。
先生の歓迎会、合宿の準備、サイエンス・カフェ、...。

みんながやってしまったほうが
まぁ間違いなくしかっり、ばっちりうまくいくのですが。

時に排他的な意見を吐いてしまう私に
慈悲をくださり、みなさんありがと、
みなさんのおかげです。

あしたからもどうぞよろしく

土曜日, 7月 01, 2006

暑っくなってきた

札幌は一昨日ぐらいからとってもいい天気だ。
空は高く青く、緑はますます濃い。
気温も高く、みな夏モードである。

北大の名物であるジンパ
(ジンギスカンパーティー、ラム肉のBBQ)も
そこらしこでやっている。
わたしも友達の研究室のジンパに混ぜてもらった。

わいわいがやがややりながら、
うまいものを飲み喰いするのはやっぱりいいものだ。

次の金曜日は我が研究室のジンパがある。
発泡酒は厳禁との仰せがまいっております。

水曜日, 6月 28, 2006

いい話です

ネットサーフィンをしていると
嫌な記事を目にすることも大きけれど
いい話ももちろんあります。

甘ッチョロイ話やいいことばかりの話もあるけれど
それは今はそれでよしとしたい。

そんな話を旭山動物園(http://www5.city.asahikawa.hokkaido.jp/asahiyamazoo/)
の園長室、ゲンちゃん日記で見つけました。
動物達にたいする暖かいまなざしと
私達人間に対する厳しさとを感じます。

アップルコンピュータのスティーブ・ジョブスのスピーチです。
(http://pla-net.org/blog/archives/2005/07/post_87.html)
自分のしていることに自信を無くしそうになったら読んでください。
なんのために生きているのか気づかせてくれます。
大事なものは一体何でしょう?
それはきっと私達にはわかっているのだと思いました。

BOOK 安心社会から信頼社会へ―日本型システムの行方

安心社会から信頼社会へ―日本型システムの行方
山岸 俊男 (著)
中公新書

Bookoffで買って、知らずに読んでいたのだけれど
著者は北大の心理学の先生でした。

人間の心理から社会システムのあり方を問うた
おもしろい本。

こういうの好きです。説得力があります。

私達人類は、社会の中で対人に関する知性を
獲得してきました。

それらの知性が閉じた社会(村など)や
開いた社会(都会など)でどのように重要になるのか
議論されている。

つまり、社会的な不確定要素を少なくするためには
どのような戦略をとるのがよいのか?

結局、現代のように多くがグローバルになってしまうと
なるべく情報をOpenにして、不確定要素を少なくするための
コストを少なくしなければ、うまくいかないのだそうだ。

これって、いままで現象論としていくつかの事例はあったけれど、
どうしてなのかひとつの説明があたえられたのではないでしょうか。

Amazom.com
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4121014790/qid=1151463853/sr=1-1/ref=sr_1_10_1/249-1434028-8192310

BOOK 無思想の発見

無思想の発見
養老 孟司 (著)
ちくま新書

「無思想はフレキシブルだよね、都合がいいのさ。
だから何事にも寛容なんだよ。器がでかいってこっと。
みんなつまらない思想に囚われていないで、
日本古来の「無」の思想に戻ろうよ!」
っていっているように思った。

これはこれでいいよね。たしかに都合がいい。
うまく行きそう。
論理的に考えてうまくいきそうな戦略なのに
なぜかみんながみんな、とういよりほとんどの人類は
「無思想」を採用していないのです。

きっと「有思想」には、強い引き込みがあるのです。
思想なしではふらふらと不安で、
不自由を承知で何か基底を自ら定めて、
それからでないと生きてゆけないから、
多くのひとが有思想でいるのだろう。

どうすれば、「無思想」に鞍替えできるのか
その辺も書いて欲しかったね。

でもやっぱり、よくもわるくもクソジジイだなこの人は。
小生は生意気にもそう思いました。
こんな人が結構好きです。

Amazon.com
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480062807/qid=1151463258/sr=1-1/ref=sr_1_10_1/249-1434028-8192310

BOOK 世にも美しい数学入門

世にも美しい数学入門
藤原正彦(ふじわらまさひこ)、小川洋子(おがわようこ)著
ちくまプリマー新書

とても簡単な本、半日もかからずに読み終った。

数学者は「数学」をどう感じているのか?
著者の数学者藤原氏は、
「数学はただ圧倒的に美しいですから」という。

「それだけでいいのだ」と思った。
美しいものをなぜ美しいのか説明するのは野暮だと思った。

藤原氏数学は、とくに美しい数学は、すぐには役には立たない。
役に立たないから偉いとまで言う。

あぁここまで独善的でよいのか、究極的な美しさはそれまでも許されてしまうのです。
美しさには存在の理由などたしかに必要ない。
そんな説得力が美しさにはあります。

小生はまだまだ修行が足りないので、
目に写る美しさに引き込まれますが、それでもいい。
その美しさに理由など必要ありません。

ちなみに、小川洋子さんは「博士の愛した数式」の著者です。

Amazon.com
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480687114/qid=1151462313/249-1434028-8192310

土曜日, 6月 17, 2006

人の集まりから祭へ

あまり暖かいと感じない札幌ですが、
今日は雨が降っていたせいかもわっと暖かい日でした。

最近、小生はサイエンスコミュニケーション、サイエンス・カフェなる
ものに入れ込んでおります。

サイエンスコミュニケーションとは、
「科学技術の研究グループの一員として,自分たちの研究成果や研究の意義を,魅力的な広報誌やウエブ・ページで,広く社会に向け,わかりやすく発信していく(引用先:北海道大学 科学技術コミュニケーター養成ユニット CoSTEP
http://costep.hucc.hokudai.ac.jp/qanda2.html)」ことなのだそうだ。

最近、日本中でサイエンスコミュニケーションの一環(いっかん)としてサイエンス・カフェなる催しが行われています。もちろんここ札幌でも開かれています。

日本各地で行われはじめているのですが、盛り上がりはいまひとつといったところでしょうか。(ほとんどの日本人がまだ知らないので)

私、この催しはなにやら「祭」になる予感がします。「祭」なる不可思議なものがどのように起こるのかとても楽しみです。

実は、「自分たちでもやってみないかい?」「サイエンスコミュニケーションを勉強してみようよ」という声が、私の周りでも挙がるようになりました。そして昨日、はじめてのワークショップ(勉強会みたいなもの)がありました。

結局、よくしった顔が集まったのですが、「ようしやろう!」と言った熱気を感じました。これからが楽しみです。

日曜日, 6月 11, 2006

自己防衛 - 「生意気」と「へ理屈」-

「生意気」。他人から見た私の性格の様です。
ここ一年ぐらいで、自覚するようにもなってきました。

「生意気」というのは他者に対する「敬意」が足りないということですか?
確かに、尊敬している人は手で数えられる程しかいません。
ただ、誰に対しても「誠実」でありたいと思っています。
そして、それを日夜実行してます。

「へ理屈」。相手をとてもイライラさせるようです。
「共有」したいから、共通ルールを探しているだけなのです。
でも確かに私には、暗黙のスキル「察する」感覚が
特に欠如していることに気づいてきました。
暗黙のルールが使えない分、「理屈」を使おうとします。

「へ理屈」は、あなたを拒絶しているわけではないのです。
あなたと共感したいという感情の発露です。共感するための方法です。

私は、皆さんのこの社会の器の大きさを根拠もなく信じています。
その器の大きさに甘えている子供のようだと思っています。

ただもっとあなたの体温を感じながら話がしたい。そういうことです。

水曜日, 6月 07, 2006

認知障害と進化

生物の進化は環境への適応戦略の結果であるというのが、ダーウィニズム(進化論)の基本的な考え方です。その理論が正しいならば、私達人類も生物である以上、現在の遺伝子の表現型としての個体が進化の結果であります。

「自閉症」や「ADHD」を患う人が人種を問わず、またある程度遺伝性を持つことが明らかになってきたことを授業で学びました。つまり、遺伝子の獲得形質が環境への適応の結果ならば、「自閉症」や「ADHD」という遺伝子も環境への適応の結果といえます。「自閉症」や「ADHD」の遺伝子を持っていることが、生存競争の中で有利に働いていた(いる)ことを示しているのかも知れません。

(遺伝性の「自閉症」や「ADHD」とそうでない場合でも、その認知障害のメカニズムは同じかもしれません。ですが、ここでは以下、遺伝性の場合についてのみ議論します)

ただ、現代の社会環境では「自閉症」や「ADHD」を患う人々は、「構造化された環境」のもとで、よりその能力を発揮すると学びました。現代の人間社会は、人類の多様性を担保することで、発展を維持しているようにみえます。自然界の弱肉強食のルールとは違った形で、生態系の安定を保証しています。つまり、「構造化された環境」を提供されなければ能力を発揮できない個体は、自然界では生き残れないのです。「構造化された環境」を提供することで、その個体を集団に組み入れ、集団の多様性を維持している。

そう考えると、「自閉症」や「ADHD」という認知方法は、我々の祖先が集団を形成し、集団の中で役割分担をし、構造化された頃に発生したと考えられます。

現代でも、「自閉症」や「ADHD」を患う人々一人一人に、それぞれに適した「構造化された環境」を提供することは大変困難です。ほとんど提供されていないのが現状ではないでしょうか。それでも、遺伝形質として淘汰されてしまっていないのには訳があるのでしょうか?

「自閉症」や「ADHD」の認知障害の特徴から、その認知方法がどのような環境により適応していたのかを検証することは、患者の方達やその家族を支援する具体的な方法や個々に適した「構造化された環境」を提供することの何かヒントを与えてくれるかも知れません。もしかしたら、とてつもない能力なのかもしれません。今後の認知科学や心理学の研究に期待します。

認知や心理に関する興味は、私にとって潜在的なものです。他人の行動や発言は自分をうつす鏡のようなものであるように、「自閉症」や「ADHD」という認知障害は、自分の潜在的な認知活動を知る上で鏡のようなものなのだと思います。

近年の分子生物学の成果、スモールネットワーク理論、鳥インフルエンザの感染爆発(ウィルスの遺伝子形質の変化)、異常気象による巨大ハリケーン発生現象などを知れば知る程、この世の中のあまりに絶妙なバランスというものに驚かされるばかりです。それぞれの要素が緩やかにかすかに関わりあっています。その関わりが全体の安定にどれくらい寄与しているか評価するのはほとんど不可能です。

おそらくそれと同じように、さまざまな認知的特徴をもつ個人がつくる集団は絶妙なバランスを作っているのだと最近よく感じるようになりました。見知らぬ人たちが集まっても、自然と役割分担をし、集団を構造化します。特定の個人のがその集団に及ぼすダイナミクスを推し測るのは、上記の理由でほぼ不可能です。そういった観点から自分たちの社会を見る必要もあるように思います。 もはや、複雑ネットワークを要素還元的に記述することが不可能なのは、数学、情報科学分野などでは自明となりました。人文系の人々は昔から感覚的に気づいていたのでしょう。

ヒトの認知、心理構造から得られた知見が、私達のよりより幸せに活かされることを祈ってやみません。そしてその知見にすこしでも貢献できるよう私も計算論的な神経科学の方面から頑張りたいです。

ちょうどこれを書いている間に、「進化認知科学、進化心理学」という学問分野が存在していることを知りました。そして、21世紀COEプログラムとして東京大学のグループが中心となって「心とことば - 進化認知科学的展開(http://ecs.c.u-tokyo.ac.jp/index.html)」と題したプロジェクトがあることを知りました。このプログラムの目的は、「認知科学、言語科学、進化人類学、 進化心理学、遺伝学、小児科学、情報科学などの連携による学際融合研究を行い、グローバル化が進む現代社会における人間理解の知的基盤を提供」することだとしています。

このように、認知科学や心理学、情報科学の見地から社会システムのありかたを研究し、提言する活動がより活発になってゆくことに期待します。

日曜日, 5月 28, 2006

受動的エンターテイメントとしてのサイエンスカフェ

5月26日に 毎日新聞社科学環境部記者 元村有希子さんが
「第一回科学ジャーナリスト大賞」を受賞されました。
受賞理由は「ブログを含む『理系白書』の報道」だそうです。
Blog URL: 「理系白書ブログ」 http://spaces.msn.com/rikei/

元村さんは「理系白書(毎日新聞科学環境部 著)」の著者の一人です。
Amazon.com: http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062117118/249-7834674-0596366

「科学ジャーナリスト大賞」が何なのか知りませんが、
「理系白書」が示唆に富む問題提起をたくさんしていたので印象に残っています。

元村さんのBlogを読んでいたら、
「サイエンスカフェ」のことが書いてありました。

現在の日本における「サイエンスカフェ」の状況と
英国の状況、その比較がすこし書いてあるので引用します。

(以下、引用 URL: http://spaces.msn.com/rikei/blog/cns!B2DB7723CECCAA05!6011.entry?_c11_blogpart_blogpart=blogview&_c=blogpart#permalink)
さて、きょうはブリティッシュカウンシルで開かれた、サイエンスカフェについての催しに出かけた。

英国でサイエンスカフェを仕掛けているアン・グランドさんという女性の話を聞いてきた。

サイエンスカフェとは、くつろいだ雰囲気で、科学や技術の話題を専門家から聞き、自由に質問したり、意見を言ったり、参加者同士で議論したりできる場のことである。「くつろいだ雰囲気」を大切にするので、実際にカフェやパブで、飲み物や軽食を片手に開かれることが多い。

ちなみにきょうの催しも、開催前と途中の休憩には軽食とアルコールが出て、参加者同士の会話が弾んだ。

日本でも最近かなりメジャーになってきたが、全国津々浦々という感じではない。拠点になりつつあるのは、北から札幌、仙台、東京、京都、ぐらいだろうか。

アンさんによると、英国では「サイエンスカフェはもはやニュースではない」そうだ。つまり各地で根付いて、継続的に開かれている。推定で年間5万人ぐらい参加しているそうだから、日本とはおそらく2ケタ違う(多分)。

彼女の話はとても刺激的で、ここでいま詳細に書くと、未消化なまま固まってしまいそうだからもう少し熟成させたいと思う。以下はポイント。


・「こうやれば成功する」とか「こうしなければならない」という型にこだわらない方が、結果的にはうまくいくかもしれない。

・話題は参加者が決める。参加者が望むものは話題になる。それが、議論が対立するものであってもいい。

・ファシリテーター(話題提供者と聴衆のつなぎ役)の役割がとても大切。

・聴衆が主役、これが大原則。


ついでに、日本のサイエンスカフェが、公的な機関や学会や大学を中心に試みられているのに対して、英国では市民サイドから草の根的に始まるケースが圧倒的だという。

この違いは「日本らしい」ということもできるし、ひょっとしたら、いま「はやり」の科学コミュニケーションが、残念ながらいまだに「送り手発想」から抜け出せていないってことなのかもしれない。

昔ながらの「大衆に教えを授ける」発想が、スタイルを変えただけで生き残っていく、なんてことにならないようにお願いしたい。
(以上、引用)

元村さんの記事によると、
日本でも徐々に盛んになりつつある。
日本では学術拠点が行っているのに対し、英国では市民サイドから始まるケースが圧倒的に多い。この原因が日本のサイエンスカフェが「送り手発想」から抜け出ていないからではと指摘してる。

なぜ、英国では草の根的サイエンスカフェが起こるのか良くわからない。
ただ「知る「ということに貪欲なだけ(好奇心が旺盛)なのか、
それとも生存競争の「戦略」としてサイエンスが優位に働くのだろうか。

日本ではどうして「送り手発想」から抜けきれないのだろうか。
その原因とか根底を流れる哲学や思想、文化について考えてみることは
大事なことかもしれない。
現在の「科学技術コミュニケーション」がただの流行りなのか、
それとも意識改革のはじまりなのかそれを見極める手がかりにもなるだろう。

以下は、私の印象です。

「研究」などの「専門」は「専門家」のものなのだろうか?
この問は、おそらく日本では「Yes」だ。
だから、専門家は「私の専門に興味を持って頂けるのはたいへんありがたい。
だから教えてしんぜよう。でもそれ以上知りたいなら、死ぬ程勉強してあなたも
専門家になりなさい]といった発想が見受けられる。

一方,市民は「やっぱり最先端は面白いね。もっとたくさんお話を聞きたいな。
次回のサイエンスカフェが楽しみだ」という発想だろう。

どちらも「当り前」に聞こえるかも知れない。
そこには「演者と観客」といった構図がある。
結局、「サイエンスカフェ」も日本では「受動的エンターテイメント」
にしかなっていないのかもしれない。

近年、「参加型ホニャララ」という「エンターテイメント」が流行るのは
「受動的エンターテイメント」への飽きと「参加への欲求の高まり」の
現れだろう。その流れに「サイエンス」も乗っかっているだけのようにも
みえる。ただ流行りの「よさこいまつり」や「ボランティア活動」と異なり、
科学的専門性への壁が高いので「参加」が消極的になっているのだろう。

科学的専門性の壁を高くしているのは何なのだろう。
それは「科学者、専門家のプライド」がい大きい影響力をもつと私は思う。
「所詮、素人の一般市民に何がわかるのさ」、
「俺はこの道、30年のベテランだぞ、まぁ何でも聞きなさい」
ってな具合ではなかろうか。
(専門家としての誇りと仕事の質は比例するのでしょうか?
仕事に対するプライドもつこととその仕事をsanctify(聖別)することは同じこと?)

前回のサイエンスカフェ札幌のゲストスピーカー 永田晴紀さん 
(北海道大学大学院工学研究科助教授,宇宙工学)が
町の皆さんは、自分たちのロケットだから熱心に応援、支援してくださるんです」
とおっしゃっていた。
おそらく、「草の根的サイエンスカフェ」が日本でほとんど起こらないのは、
市民が「サイエンス」を自分たちのものだと思っていないからだろう。

この市民たちのサイエンスに対するスタンスを決めているのは、
「専門家の自分の専門に対する市民のコミットメントへの寛大さ」と
「ファシリテーターの科学哲学」に問題が帰着すると思う。

木曜日, 5月 25, 2006

Open Source Software in MultiMedia

ついにオープンソースでフル3Dアニメーションムービーまで
作られるようになってしまった。すごい。

私は日頃から、LinuxというOpen Source Softwareを使っている。
Open Source Softwareというのは、
いわゆるフリーのソフトウェアのことである。
フリーというのは、「タダ」というだけでなく、
むしろ「自由」なソフトウェアのことを指してる。
(詳しいOpen Sourceの定義は、以下を参照してください。
オープンソースの定義 八田真行訳、2004年2月21日
http://www.opensource.jp/osd/osd-japanese.html)

さて、Open Source Softwareは、
コピーして使うのももちろん「フリー」である。
だからそのソフトウェアでは、ほとんど儲からない。
(売られいても、他からコピーしてもいいなら、
わざわざ買わないだろう)
ちなみに、世界一売れているマイクロソフト社のソフトウェアを
コピーして使ったら、それは立派な犯罪です。
(マイクロソフト社は大変儲かっています)

そんな儲からないOpen Source Softwareは、
作っても儲からないので、
手間のかかる、ユーザーのそんなにたくさんいない
分野のソフト(マルチメディア)の開発は、
ブラウザやオフィースなどのソフトに
比べるとそんなに進んでいないと思っていたら、
そんなことはなかった。

なんと、フル3Dアニメーションムービーを
Open Source Softwareだけで作ってしまったのだ。
その短篇ムービー(約10分)の名前は、
「Elephants Dream」http://www.elephantsdream.org/index.php

『これはOrangeProject という、アーティスト・開発者が集まり、
6ヶ月で3DショートムービーをBlender というオープンソースの
CGソフトで制作するというプロジェクトの成果物です。』
(http://slashdot.jp/articles/06/05/25/0249246.shtml の xzr (7110) のコメントから引用)

映画製作といえば「マルチメディア」の代名詞ではないか!
ここまでできるなら、
これからはもう「Open Source で何でもできる」と
胸をはって言えるな。

関連記事:
Openな映画Elephants Dream(Slashdot Japan)
http://slashdot.jp/articles/06/05/25/0249246.shtml

水曜日, 5月 24, 2006

五月病

いやはや、何か春と初夏が一辺にやって来たような感じの札幌ですが、
ここ二日ほど肌寒い日がつづいています。

先週は何かとばたばた(恐れ多くも忙しいなどとは申しません)していました。
まわりに感化されて勉強をしてみたり、
生協の会議にでてみたり、
滋賀でお世話になった先生が学会で札幌にいらしゃったので、会って、またご馳走になってしまったり、
研究室の新入生(自分ら修士1年)の歓迎会に参加して、3次会で朝5時まで飲んで、
また、昼から数学専攻のジンパ(ジンギスカンパーティー、ラム肉のBBQ)にいって夕方までまた飲んで、
そのまま、野球の練習に参加して、友達とコーヒー飲んで、
次の日、夕方から本気でフットサルをやって夜の12時ぐらいに帰って来て
月曜の朝8時45分から自主ゼミをやったら
さすがに疲れが溜ったみたいで、
カゼ引きました。

あぁこれが「五月病」というものなのですか。
つまり4月のうきうき気分のまま、全力で遊びすぎるとやっぱり疲れて風邪を引く。
それが「五月」におこる。だからみんな「五月病」にかかるのね。

そういえば、滋賀からいらっしゃった先生が一日4、5時間しか寝られないと言っていました。
うむ、それでは五月病どころではないですが、そんなのにかかってる暇もない。
(暇とかいうはなしじゃないですが)

でも世の中、出来る人にはどんどん仕事がまわってきて、どんどん忙しくなる。
出来の悪い人からはどんどん仕事がなくなって、どんどん暇になってゆく。
働いて忙しい人はrichだけれど使う暇がない。
仕事がなくて暇な人は暇があるけれど使うものがない。
おそらくこれもべき乗則(power low)になっているものと思われる。

忙しい人が毎日ブログを更新しているのを見ていると、
どんなに仕事率がいいのかと考えてしまう。

私の場合こんな物でも、半日もかかってしまうのだから。

土曜日, 5月 13, 2006

activation

わたしは五階にいる。
風にのって桜の花びらが舞っているのが見える。
どっかの生命保険会社の宣伝で
「♪花の命は結構長い♪」といっていたけれど、
桜の花の命はやっぱり結構短い。
そんな訳で札幌は春まっただ中です。
(Blogの調子が悪いのか、私の使い方がよくないのか
桜の写真をBlogに張ることができずにいます。残念。)


「活性化(activation)」
脳の活性化、地域の活性化、


第8回 サイエンス・カフェ札幌 「北海道のCAMUIロケット」
ゲスト:永田 晴紀さん/北大大学院教授
http://costep.hucc.hokudai.ac.jp/sciencecafe.htmlのお手伝い(応援し)に行ってきました。

永田さんが熱いことをいろいろとおっしゃっていたので、
自分をactivateするためにここに記す。

ロケット:
・「おもしろいをすり込む」
何がおもしろいかというのは、思い込みである。
学生達がデータを出してきたとき、
学生達は私(永田さん)の顔を見るのだそうだ。
そのとき、「このデータは面白いね」
と何がおもしろいのかを学生達にすり込む。


・「学生達は宇宙人になる」
宇宙開発という分野で日夜研究に全力で取り組み続けていると
艱難辛苦が快感になってしまった人達なのだ。
< わたし、こんな研究魂、技術屋根性、職人気質に憧れるのね。


社会:
・「町おこし(地域の活性化)には、ハコモノは必要なし! 本物を見せろ!」
お客さんから出た「博物館などのハコモノを建てて、地域の活性化をはかろうとしたけれど、
その後が続かず行き詰まっている企画をよく見ます。
何かよいアドバイスをください (こんな感じだった)」という質問に対する永田さんの返答。
< やっぱ本物が一番面白いよね。
ただ全てが「答えがありき」な科学感(できあがった科学、体裁を整えた科学)で本物を見るときっとかなり辛い。
それは、本物は概して「答えがない」「簡単にはうまくいかない」から(すっきりしてない、泥臭いのね)。
そのreality=本物を損なわずに市民のみなさんにどう覚悟してもらうか、
麻痺させるか、中毒になってもらうかがサイエンスコミュニケーターの腕の見せ所だろう。

・「社会と太いpathがcashを集める」
「お金が有れば何でも買える。人の心だって買える」(某IT企業元社長)
人の心はお金で買えます。
だたし、必要なのはキャッシュ(一時的なお金)ではなくフロー(持続的なお金の流れ)。
CAMUIロケットへ寄せられた思いは、巨額な資産(フローを生み出すもの)。
< う~む。大事なのはフローってことか?
人の行き交い、モノの行き交い、情報の行き交い、金の流れ(フロー)、人の思い。
なにかが生まれる、創造、創発されるメカニズムがそこにあるのだろう。
文化や文明はそれ自体が、人類総体が無意識(集団的無意識)に発明した生命維持装置であるなら、
「行き交い(フロー)」が生み出すメカニズムは生理学的にはなにに相当するだろうか?

おそらく、一個体や特定の細胞のように複雑なメカニズムであるけれど
なにか決まったプロトコールのある(DNAとその発現のような)ダイナミクスではないだろう。
目的も価値観もさまざまな集団の「行き交い」が生み出すダイナミクスはカオスにちがいない。

何かを生み出そうとするなら(そもそも目的をもって生み出すことができるのか不明)
さまざまな「行き交い(流れ、フロー)」を呼び込まなければならない。

社会を構成するのは「ひと」である。つまり、ます「人」のフローを呼び込む。
これに尽きるのだろう。
そしてこれが一番難しい。
なぜなら、ひとの「思い」はさまざまだから。
この「人的フロー」をうまく呼び込むことができる人に、
結果的に「モノ」が集まってくるのだろう。


今回のサイエンス・カフェの終盤、会場が異様な熱気に包まれてた。
そのときは、永田さんの話にお客さんが興奮しているからだと思っていたが、
実は、自分がまさに感動して、体がほてっていたのだ。
う~む、かなりactivateされたイベントだった。


参考Links:
CoSTEP(科学技術コミュニケーター養成ユニット、サイエンス・カフェ札幌の企画、運営)
http://costep.hucc.hokudai.ac.jp/

日曜日, 5月 07, 2006

「♪襟裳の春は何もない春です♪」

タイトルは1974年に吉田拓郎が書いた歌「襟裳岬」の歌詞の一部。

GW(3、4日)を利用して、襟裳町へ行た。
大学の友人が新任高校教師として、この春から襟裳町に赴任してる。
そこへ遊びに行ってきた。

北海道は広い。

人はよく友人知人が尋ねてゆくとき、
「何も無い所だよ」「何も無いよ」という。

僕もかつて「カンボジアには、何もない。
せいぜいアンコールワットぐらいだろうか」なんて言っていたことがある(生意気に)。

しかし今回、札幌に住み始めてから初めて札幌を出て、襟裳に行ってみてわかった。

「何も無いなんてことは、絶対に無い」のである。

おそらく日本語の「何も無いよ」というのは、
一種の謙遜か都会や街と比べて相対的に「少ない」を
大げさに表現しているだけであろう。

札幌から襟裳に向かって移動中、車の窓から北海道の広大な景色を見ながら
「本当に北海道って何も無いんだな」などと僕は言ってしまったが、
それはただ「人工物」が極端に少ないだけ。

人工物と情報に溢れ返った都会、街での暮らしに慣れてた自分は、
それらが少ないだけで、「無い」と錯覚してしまうのだろう。
ただ感覚が鈍くなっているだけなのに。

襟裳に赴任した友人は、
「毎日、空の色が違うんだ。」と言っていたのが印象的だった。
きっとそんな違いに気付けるほど、感覚が鋭い(鋭くなった)のだろう。

ただ人は環境に慣れてしまう。
もちろん慣れなければ、心穏やかに過ごすことができない。

環境に慣れながら、鋭く繊細な感覚を持ち続けるにはどうすればよいのだろうか?

都会や街では、これでもかというぐらいドキツイ表現が溢れていて、
感覚がどんどん麻痺してしまう。
その麻痺した感覚にもひっかかるようにどんどんエスカレートしてゆく。
この繰り返しは終りが無い。

月曜日, 5月 01, 2006

質問

五月である。雨である。
確実に春である。
札幌の桜はまだ蕾(つぼみ)のままである。

新学期がはじまって、もう1ヵ月が経ってしまった。
当然いろいろなことがあった。
新しい出会い、新しい環境、新しい自分。
何もかもが一見新しく見える。

新しい授業のかたち、
まず「質問」ありきである。教官はそれに答えるかたちで授業が進む。
その教官曰く、
「講義という生徒の受身の態度では、効率が悪い」
のだそうだ。
「君は何が知りたいのか?」
その問に答えることで生徒の積極的な態度を引き出し、効率のよいものになる。

夕食に友人と食事をした。
彼は「日本史」を専攻している。
私は彼に「日本史の何が面白いのか?」と尋ねた。
彼は言葉に一瞬言葉につまってしまった。

今になって思えば、何という愚問をしたのだろうと。
相手から面白い、気の効いた、意味のある何かを引き出すには、
こちらも面白い、気の効いた、意味のある質問をしなければならなかったのだ。

おそらく面白い、気の効いた、意味のある質問とは、
「自分が何が知りたいのか」、それを聞くことなのだ。

「そんなの当り前だ!」といわれてしまいそうだが。

だけれどその「当り前」のことができなかった。
それは「日本史の何か面白いのか?」という質問が、
日本史を学んでいる人には意味不明であり(面白いからやっているのだ)、
こちらが「面白さ」を真摯に尋ねてはいないからである。

「数学」を学んでいる私に、「数学の何が面白いのか?」と
尋ねる人はおそらく数学の「面白さ」を知りたくてそのような質問を
したわけではないだろう。

だから面白い、気の効いた、意味のある何かを引き出すには、
「ナニナニを知りたい」なら、
「ナニナニとは何か(どういうことか)?」
という具体性をもった質問をしなければならない(ならなかった)。
(「日本史の面白さ」とはあまりにも抽象的だった)

質問をする瞬間、一体自分は相手から「何を聞きたい」と思っているのか
しっかり自覚する必要がある。
(こんなことに、今ごろになって気づいた)

ときどき、自分が何をしたいのか、何を知りたいのか分らなくなることがある。
疲れているのか、腹が満ちたりているのか。

自分の外界への興味を失う時、そんなことが生物である私にあって良いものなのか?
生物として決定的な本能を欠いているのではないだろうか?

そんなとき、外界から嫌でも入ってくる刺激(受身の刺激)が
しかたなく世界と自分をつなぎ止めている。

木曜日, 4月 27, 2006

命の鎖

今日の札幌は少し春めいた、
どことなくポカポカな日だった。

相変わらずバタバタと過ぎてゆく毎日ではあったけれど、
うれしいことがいくつかあった。

まずは、こちらに来てできた友人が就職の内定を決めたこと。
彼女はロケットを作るそうだ。
「Wimen(いい女は、私の人生を祭にする)」
の祭囃子(まつりばやし)の一人、楽しみな友人が増えた。
明日は、彼女の祝賀会で札幌の夜にくり出す。


二つ目は前の職場から、私の代わりの新らしい人が決まったと
2通もメールが来た事。
やめてしまった私に、報告していただける配慮にじんと来ました。

おそらく、大学を卒業してから普通に就職をする人達は、
新しい職場で新たな人間関係を築いてゆくのでしょう。

大学を卒業してから、短い期間でも働いてから
大学院に戻った私は、貴重な人の「つながり」を築けたのかもしれない。
これからも「つながり」を大事にしつつ、
分野にとらわれない「つながり」をひろめてゆきたいものです。



そして最後に、私が叔父さんになることである。
私には、98才になる祖母と92才になる祖父がいる。
祖母の方は高齢のため、最近調子が良くないようであるが、
そんな話のなか、今回の話。

なにか「命の鎖」を感じてしまった。
このめんめんと続いて来た「命の鎖」、
きっと,もとをたどれば、地球に生命が生まれた瞬間まで続いているのだろう。

「生きている」という時間は、
ほんの一瞬だけれど「命のバトン」はこれかれもつぎからつぎへと受け継がれていくのだ。

ながい数直線上の、一点に過ぎない自分、
すべての命の鎖、ときに絡まり、またはなれ、枝分れし、そしてまた絡まる。

物理的空間的束縛された現時点に存在する自分がある種の奇跡のような気がする。

土曜日, 4月 22, 2006

感じないものを感じる

土曜の昼。
外は風が強く寒いけれど、
ヘッドホンで音楽を聞きながら、
研究室の窓から流れる雲をみていると
どこか別世界をテレビで見ているようだ。
とても気持がいい。

「感じないものは無いのと同じだ。」もちろんこの命題は間違っている。
たしかに、本当に「無いもの」は感じられない。

「無い」とは難しい。

黒の中の白、空の瓶、空腹、快晴、葉の落ちてしまった冬の樹木。
そこでは、「無い」けれども周りとのコントラストの中で
確実に「無い」を主張していて、「無い」を私達は感じてしまっている。
だから、上にあげたようなものは「(無いが)ある」のである。
「無いもの」を感じているのではないのだ。

さて、「もの」が身の周りに溢れいてる私達の世界では
しばしば「感じないもの」は「無いもの」とされてしまっている。
でも実は、そのままでは
(感覚をとぎすまさなければ、道具を使わなければ、
時間をかけなければ、視点を変えなければ、
つまり、現時点での写像(map)を変えなければ)、
感じられないものなだけである。
そして、そんなものの方が沢山ある。

たとえば、
  • 小さいものなら顕微鏡、遠いものなら望遠鏡
  • 超音波なら千分の数秒スケール、大陸の移動なら数千万年スケール
  • 携帯に使われている電波ならアンテナ
  • 海外にいるなら現地の言葉(日本語という写像では意味が感じられない、理解できない)
  • 嫌いな人の良い所、好きな人の嫌な所(恋は盲目ね!)
  • etc....
ただ、そのままでは感じないものを観じた人がその感動を伝えるのも、
やっぱりそのままでは感じてもらうことはできない。
相手の写像に合わせる(わかる言葉、表現に変換する)なりの工夫が必要になる。

「(そのままで)感じるもの」では既に豊かになった私達はそろそろ、
「(そのままでは)感じないもの」でも豊かになることを始めてみるのはどうだろうか?
「(そのままでは)感じないもの」の世界は、
私達が想像する以上に深く広大であることは間違いないだろう。

木曜日, 4月 20, 2006

感じるカオス

今日は一日雨であった。
北の大地の札幌でももう雨しか降らない。
春が着実に近付いてきている証拠なのだろう。
はーるよ来い、はーやく来い。
(春に恋、早く恋。)
春が恋しい。

七月の学園祭 北大祭にあわせて、我が電子科学研究所の一般公開をやるらしい。
なにかしないかと、研究室に応募案内が来た。

「感じるカオス」をテーマにやることに決まった(?)。
カオスを感じるにはどうすればいいのだろうか。
  • 二重振り子を見る。
  • シミュレーションの画像を見る。
  • テレビの中のテレビの中の....
  • etc.
あまり、いいアイディアが思い付かない。
カオスは身のまわりに溢れているのに(本当か?)、
五感で感じられるカオスはないのか?

人類の長い歴史の中で「複雑系」や「カオス」がやっと最近になって認知されるように
なったのには、それらを感じる「感覚」が無かったか、未熟だったからなのかもしれない。

「カオス」に気づいた人類はこれから、全く新しい世界を感じるのだろうか。
その世界がエキサイティングなものであることを祈る。

火曜日, 4月 18, 2006

一休 イッキュウ

札幌でできた友人と札幌名物「スープカレー」を食べに行った。
インドのターリーを思い出した。

なんで「脳」に興味をもったのか、
そのきっかけはインドへいったことが関係していることを話した。
そして自分の世界の見方しだいで世界がいかようも映ることを知ったことも話した。
(...飛躍...)
そしたら、友人は一休さんの逸話を話してくれた。
一休さん曰く、
「その土地その土地の自分のカルチャーと違う多くのことは、すべて風流なのだ」
そうだ。

そう、確かにそう考えるといろんなことが「いとをかし」にみえてきた。

また、こんな逸話も話してくれた。
一休さん曰く、「この世は、あの世とあの世の間の一休み」なのだそうだ。

そこで、こんなことを考えた。
あの世では、
この世のように腹が減ることもなく、
疲れることもなく、
眠くなることもなく、
死ぬこともなく、
終ることなくひたすら働かなければならないかもしれない。
だから、この世にいる(生きている)間はしっかり休みをとっておこう。

月曜日, 4月 17, 2006

Wimen

落ち着きの出てきた4月の第三週目だ。
一年ぶりの学生生活だけれど、意外とかつての雰囲気に戻るのは簡単だった。
働いていた時のような緊張感は、日に日に薄まっていく。
ただ、かつてと違うのは、この「自由」を生かすも殺すも自分次第。
その結果が嫌でも二年後に、目に見える形で突き付けられることだ。

「祭は、いい女がつくる。」
祭は、人がするものだ。。いい女がいれば、男が集まる。人が集まる。そして、人が人を呼ぶ。
人生は「祭」のようにあってほしいと思うのは私だけであろうか?
もしかしたら、私の人生は「祭」かもしれない。
  • 働く場所を求めてベトナムへ行く女
  • 日本の伝統文化を極めようとする女
  • 石油を求め世界中で穴を掘る女
  • バックパッカー女
  • 究極の物理理論を探し求める女
  • 遠い宇宙を見ようとする女
  • まちを元気にする女
  • 人形に命を吹き込む女の子
  • 子どもたちのために一生懸命な女
  • 子供の健やかな成長を心から願う母親達
そんな彼女たちが生きているこの世は間違いなく祭である。

金曜日, 4月 14, 2006

Alpha debut

昨日は、数理科学系の親睦会があった。巨人(雲の上の人?) 蔵本先生と直接お話しができて大変光栄だった。とても気さくな方であった。ある人曰く「それは利害関係がないからだろ」といわれてしまった。その通りかも しれない。二次会で若手の先生、研究員、PD、DC、MC、秘書の方と札幌Loft地下 ラッキー飯店で盛り上がった。ここ数日、北大に来て良かったと思う機会がとてもたくさんあったが、この時ほどそう思ったことは無かった。数理科学系の大学 院を探している青年よ「北大の数理科学系に集合!」。

今日、昨日の飲み会で使われていないCompac(旧DEC)のxp1000を使ってもいいとお達しをいただいたので、早速、部屋に持って来てDebian GNU/Linuxをインストールすることにした。
私 もとうとうAlphaデビュー(涙)。Alphaに出会い、それにLinuxをインストールして使う日がくるなんて、誰が想像できたでしょうか。あぁ松 本先生ありがとうございます。この出会いも全て先生のおかげです。恩返しではないですが、これからも布教活動に精を出してゆく所存であります。orz

本当に北大に来て良かったと思う、今日この頃です。

明日は、大学時代の友人と新しい友人と一緒に飲みに行くのです。また楽しみだ。

水曜日, 4月 12, 2006

I became a blogger today.

いろいろとBlogを迷った末にBloggerにした。とりあえず、これでやっていくつもり。

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