月曜日, 8月 13, 2007

暑中見舞い申し上げます


ここ数日30度をこえる暑い日が、ここ北海道でも続いています。
みなさん元気ですか?

土曜日, 8月 04, 2007

安西先生曰く、『あきらめたらそこでゲームセットです』


時事ドットコム:2007/08/04-11:17 「クイーン」のB・メイさん、三十数年ぶりに博士論文を提出
asahi.com:「クイーン」ギタリストが天文学の博士論文提出 2007年08月04日19時06分
BBC:Queen star hands in science PhD

音楽好きでなくても知る人ぞ知るロックバンド「Queen」のギタリストのブライヤン・メイが、天文学で博士論文をロンドンのインペリアル・カレッジに提出したようだ。なんと36年ぶりに執筆を開始し、書き上げたそうで、テーマが、「黄道帯塵雲(じんうん)における視線速度」。内容はよくわからないけれど、天文台の観測データをちゃんと使って、約四万五千語もある論文だ。

ブライヤンが天文学の博士課程に所属していたことも驚きだが、36年ぶりに書き上げたことはもっと驚きだね。

スラムダンクの安西先生の言葉が思い出されるね。

火曜日, 7月 31, 2007

Photo Exihibition: COLOURS



7月2日から14日まで友人5人と写真展”COLOURS”をやりました。
この写真展のBlogができました。ご覧下さい。

水曜日, 6月 27, 2007

Album: QURULI "Tanz Walzer"

それは、ピュアな喜びのような感覚、音楽を聞く時にだけ感じるあの独特の「楽観性」のようなものです。懐かしい場所にかえったような、それでいて最終目的地にたどり着いたような、でも本当は実は、自分の隣にいつもあったような、感触と匂い。だから大丈夫だよ、もたれかかっていいんだよ、また歩いてゆけるんだよ、とすべての音が語りかけてくれるような、意味や正しさを超えた音楽の肯定の力。
(「QURULI "Tanz Walzer" くるり ワルツを踊れ」の rockin' JAPAN編集長 山崎洋一郎氏による作品紹介より)

この文章を読んで、
続けること、
変化を信じること、
そしてそれを待ち続けること、
それまで止めずにいること、
情熱を持ち続けること、
そんなことがぐっとやってきました。

「意味や正しさを超えた『存在』の肯定の力」を信じてみようと思った。

日曜日, 6月 17, 2007

ポッドキャスティング

インターネットラジオをときどきやってます。
聞いてください。
radiradio
http://radiradio.cocolog-nifty.com/blog/

月曜日, 6月 11, 2007

あらら

ほっといたら2ヶ月もたってしまっていますね。
いろいろ毎日おこってますよ。
おととい北大の電子科学研究所の一般公開でした。
たくさんの市民の方が来所してくださいました。

とてもたくさんの子供のみなさんがいらしてくださいました。

最近は、市民メディア、映画、祭り、修論、やることやりたいこと
まだまだたくさんあります。

あきし

木曜日, 4月 19, 2007

地球は丸い

昨日、今日とここ札幌はとってもいい天気でした。だから今日、ピクニックしてしまいした。風はまだすこし冷たかったけれど、心地ののよい青空の下で、友人と楽しく昼食をとるのは楽しかった!

今日うれしいメールが友人から直接、私にとどきました。彼女はいまフランスのseteにいるそうです。(seteってどこ?) まぁ、なんと地球の裏からはるばる「旅を楽しんでいます」と連絡をくれました。

そうそう、そういえば他の友人は、「念願のアフリカにいってきた」と近況報告とともに連絡をくれました。彼の目下の目標は「南極へ行く」ことだそうです。彼ならきっといつか到達することだろうと思います。

また、別の友人はこのゴールデンウィークを利用して、ベトナム・カンボジアへ行ってくるといっていました。

五月によく行くお店のオーナーが、ネパールに買い出しにいくそうです。

なんか、インターネットと旅の話をしたら、インターネットと旅に絡んだ話がいろいろやってきました。

彼らが丸い地球のどこかで、精一杯楽しんでいる。そんなことが、とっても「俺もがんばろ」って思えます。

弱気でくじけそうな日々だけれど、あきらめられないから。

結局なんとかなるんだから、変化を信じてみれば?ときの流れに身をまかせて。
大丈夫、まだ俺は立っているじゃないか?
自分らしさも、そうじゃないことも、世界も変わってゆくかもしれないだろ?

そうやって、ネガティブに考えるの、やめなよ。

我慢や嘘や感情を押し殺しても、自分を隠しても無駄さ。
そんな器用にできてないんだよ。よく知っているくせに。
いつも感情に振り回されて、周りに迷惑をかけて、品性と計画性のなさに後悔する。
ヒドいやつだ。だけれど、いつも俺は俺を見てるよ。
どうせ離れられないのだから、一緒に行こうぜ!

地球は丸い。

みんな、体調には気をつけて。全力で楽しんでくれ!

水曜日, 4月 18, 2007

ブログからブログに繋がっている

礼(ゆき)姉さんのブログに、不思議だけれど、うれしい話がありました。

このブログが思いもよらない方に読んでもらえています。
いきさつは、礼さんのブログ
ブログからブログに繋がっているを読んでいただくとして。

どんなところからどんな方がこのブログを見ていただいているのか、わからないものですね。
そして、それを楽しんでもらえるのは、僕にとっては不思議な感覚ですが、とてもうれしいです。

筆無精の僕がブログを書くときは、よっぽど何か思いが煮詰まっているときなので、それをどうにか吐き出してしまおうと書きます。

以前にもこのブログで書きましたが、誰のために書いているのか?なんで書いているのか?ほとんどわかりません。誰かのために書いていることはほとんどないでしょう。だから、何の役にも立たない。

インターネットのさまざまなものがリンクでつながっています。興味のおももむくまま、気の向くまま、時間の流れをわすれて、インターネットを彷徨う。バックパック一つ背負って旅する感覚にどこか似ています。今日は何時におきるのか、何をたべるのか、どこへ行くのか、そんなことはそのとき考えればいいのです。

インターネットはそんなことが現実に許される数少ない旅の一つでしょうか。


世界は自分が感じているところで終わってるようだけれど、実は世界はその外側にもちゃんとあるんです。その外側の世界をどれだけリアルに想像して、感覚とすりあわせることができるのか。

変化を信じること、結果は予想した通りにはならないこと、結論はすぐにはでないこと、自分の知っている世界は世界のほんの一部でしかなこと。当たり前のことだけれど、ついつい忙しさや自分勝手や嫉妬でわすれてしまいがち。

旅やインターネットはそんなことを思い出させてくれます。

火曜日, 3月 13, 2007

Re: udon thank you

いまはまだ当り前のことに
気づいてゆくことに精一杯だけれど、
いつかは、見えなかった世界をみんなといっしょに
楽しんでみせるよ。

I must catch you up someday!

ネガティブとポジティブ、見えるものと見えないもの、
他人と自分の狭間で「ゆれる」こと、
それがダイナミックであるってこと、
僕がここにいる証...命だから。

すべてはあるがままに
ながれているだけのはずなのに
ただゆらゆらゆれているだけなのに
僕の涙がとまらない。

「美しいものは一度、壊れなければならない」

「つながり」をとりもどすこと
もとはつながっていたものたちを
とりもどすこと
壊れてしまった世界とのつながりを
とりもどすこと

つながりをつくり、ひろげること
それが命という現象なのかもしれない

月曜日, 3月 12, 2007

誰に向かって書いているの?

私達が発しているさまざまなメッセージには受け取る相手がいるのだろうか?

先日、友人に自分のブログを紹介したとき、
「不思議な文章だね。誰を意識して書いているのかわからないなぁ」
なんて趣旨のことを言われた。

そういわれれば、誰に向かって書いているのか
自分でもわからないものもある。
漠然とこのブログを読んでくれるだろう人達に
向かって書いているはずなのだけれど。

文章に限らず、発信するメッセージには意識的にせよ、
無意識的にせよ受け手を想定していると
私は、思っている。

だから、自分もブログに書いていることは、
(自分かもしれない)誰かに向かって書いているはず...。

「ブログなんだから、気軽に書きたいことを書きたいように書けばいいじゃない」
とやりすごしてもいいけれど、
書きたいという思いは、おそらく誰かに何かを伝えたいという思いだろうから、
ちょっとそれを考えてみたら、何か気づくことがあるかもしれない。

土曜日, 2月 17, 2007

フットサルとみんなのリズム

朝から中央体育館でフットサル。
いや思えば約一ヶ月強ぶり、やっぱサッカーはいいねぇ。
みんなも相変わらず元気だし、走るし、愉快だ。

チームのみんなは、それぞれスゴく個性的なプレーをするんだ(もちろん性格もかなり)。視野の広いサッカー、華麗なドリブル、流れを貯めるポストとキラーパス、壁のようなキーパー、主人を無くして爆走する馬車、etc。その個性やスタイルは、音楽のジャンルや『リズム』に対応しているように思った。クラシック、ロック、ラテン、スウィングジャズ、演歌、パンクなどなど。

それは今まで、ずっと一緒にサッカーをやってきたみんなのことだからわかっていたことだった。けれど今日久しぶりに一緒にやってみて、それとは違うリズムみたいなものに気づいたんだ。それは、チームやみんなのリズムがあるんだってこと。

あー、今日はいつものみんなとサッカーをやっているのだなぁ。そうだそうだ、これは僕等のサッカーだよねぇ。ってな感じ。

サッカーだけじゃないけど、チームスポーツって一人一人の個性が紡ぐ共同作業。だから不思議(非線形)な面白さがあるんだよね。ひとりひとりの奏でるリズムがチーム全体リズムをさらに奏で出す。まさに、オーケストラだ!

でも、これってある意味『退屈』ってことじゃない?!
そうなんだ、実は「みんなのリズム」に気づいたのもそこだったんだ。あれ、久しぶりにみんなとサッカーやっているのに、この「安心感」、「安定感」はなんなんだ?「いつもと同じくらい楽しいぞ?」、「もっともっとわくわくどきどきするものじゃなかったけ?」

そうだこれは聞きなれた、母さんの鼻唄の「大きなのっぽの古時計」を聞いて、
ほっとしている感じなんだ!

来週は、どっかのチームとの練習試合。
きっと新しいリズムが、どきどきわくわくさせてくれるはずだ。

月曜日, 1月 29, 2007

Re:深夜特急3 インド・ネパール

> 沢木さんがその旅をしたのも、彼が20代のときだと思います。ということは、
> そこに書かれていることは、およそ30?40?年前のことと考えられますが、
> インドのその地はほとかわっていないということかね?
> (沢木さんは現在50代か60代と思われます。)

インドその地は多きく変わってしまったところもあれば、ほとんど同じところもあると思います。ただ、そこに住む人たちとの沢木さんとのかかわり方やそこで沢木さんが感じた印象と僕が感じたコルカタの印象がよく似ています。

ヒッピー(今でいうバックパッカー)たちのたむろするサダル・ストリートという安宿街は、本で描かれているようにしっかり存在したし、確かにサルベーション・アーミー(救世軍)という宿(?)は少し高いが人気があったように思います。本にでてくる"ドミトリー(大部屋)"に僕も泊りました。

沢木さんがコルカタで出会ったインド人たちのように、彼らの『厚顔』ぶりにはほとほと疲れたけれど、そのうちそれが『かわいらしく』も思えてきました。言ってみれば、『デリカシー』にかけるけど『素直』な僕(笑)をもっと極端にしたような人達が多かったような気がします。だって、僕をカモにして『金もうけ』したいのがミエミエなんだ。

おそらく現在の日本では見ることのできない、さまざまな人間模様がコルカタにはあった。それは今でも何も変わっていないと思います。

あきし

日曜日, 1月 28, 2007

It will go public someday(いつかはばれる).

嘘(うそ)をつくのが下手だから、
つかないようにしている。
正直、これはツライ。

嘘をついてでも誤魔化してしまいたいもの、
隠しておきたいものは、たくさんある。
でも「嘘」をついたところで、
そんなものはすぐばれるのだ。

そんな状況にあったとき、"何も言わない No comment"という手段もある。
"沈黙"もまた解なり("Silence" is one of the answers.)。
これが上手な人は器用だ。

「嘘」や「隠し事」は情緒ただよう大人の嗜好品だとおもう。
「謎」は魅力になり、人にはいえない「隠し事」を共有することは
不思議な結束を生む。

僕が黙っていても、結局いつか『ばれて』しまう。
こんなときは、嘘をついてばれてしまう並に(自分でまいた種だけれど)ツライ...。

嗜好品につきまとうスリルとリスクを取るのか?
それともシンプルな平穏を好むのか?

今日も手の届かない贅沢品をウィンドウショッピングする。

BOOK: 深夜特急3 インド・ネパール

深夜特急3 インド・ネパール
沢木耕太郎

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姉ちゃん

あきしです。
この間借りた 沢木耕太郎の深夜特急を読みはじめました。
やっぱり、『深夜特急3 インド・ネパール』を始めに読むことにしました。

そこに描かれているコルカタの様子やインド人とのやりとり、その時感じた著者の感想が、約2年半程前の私がインド、コルカタにいたときの記憶をありありとよみがえらせてくれます。

『風にふかれ、水に流され、偶然に身を委ねて旅することに、
ある種の快感を覚えるようになっていた。(沢木耕太郎 深夜特急3より)』

『ゆっくり歩もう、急ぐことはない 日々歩む。
(2003-08-02 旅日記より 僕の前を無秩序に動き歩く人々を眺めながらChennai Egmore駅舎にて)』

I love my small niece from Northern land.
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水曜日, 1月 24, 2007

ハッブル(Hubble)からウェッブ(Webb)へ

ハッブル宇宙望遠鏡(Hubble Space Telescope, HST)美しい天体写真をはじめて見たのは、私が小学生高学年か中学生のころだったと思う。その緻密で鮮やかで躍動感溢れる天体の表情に強いショックを受けた。「天体は、宇宙は生きている」そう強く思った。

HSTがNASAによって打ち上げられたのは、1990年。それ以来、さまざまな天体写真をとどけてくれた。でも残念ながら最近は不調が報告されている。運用期間は延長され、修復も行われているが、運用停止はいつかやってくる。16年近くも一人でずっと宇宙を見つづけてきたHST。地球の周回軌道を一人でまわりつづけてきたHSTの姿は、一人の天文学者が一生をかけて宇宙の神秘に挑んできた姿ように思えてきた。

HSTのミッションを引き継ぎさらなる宇宙の神秘に迫るミッションをすでにNASAは計画している。それがジェームス・ウェッブ宇宙望遠鏡(James Webb Space Telescope, JWST)だ。

JWSTは2013年に打ち上げられる予定で、鏡の直径が6.5mでテニスコートの大きさに匹敵する日よけ(sunshield)がついているそうだ。HSTの鏡の直径が2.4mだったのだからほぼ2.7倍の大きさになる。
どんな画像がとどくのか、いまからドキドキするなぁ。

ありがとうハッブル(Hubble)。こんにちはウェッブ(Webb)。

(余談)NASAは宇宙望遠鏡の名前には"bb"をつけることにしたのかな?

火曜日, 1月 02, 2007

「どうなるのか?」

明けましておめでとうございます。
相変わらず変なお天気の札幌です。
みなさんは、いい正月を送っていますか?
友人のおかげで、私は楽しい年越し、
元旦を過ごすことができました。

年末には、「どんな年だったか」を振り返ります。
そして、年が明けると「どんな年になるのか」を
思い描いてみたりします。
当然ですが、「どうなるのか」がわかる人はいません。
私には、どんなにがんばっても
「どうしたいか」「どうするか」ぐらいしか
答えることができません。
いえ、ときに「(本当は自分が)どうしたいのか」さえ
答えることができないことがよくあります。

「あぁー時が無情にも流れてゆくー」とぼやきながら
次から次へとやってくる事象に対応する日々を送って、
いつのまにか一年がたってしまう。

こう言ってしまうと、Negativeに聞こえてしまいますが、
これってとってもドキドキわくわくすることかもしれません。
その瞬間、その瞬間の思い、判断がその先を決めてゆく。
筋書きの無い芝居、楽譜の無いジャズセッションのように
その場の直観やいままでの経験がストーリーをつむぎ、
メロディーを奏でる。
それを如何に、どれくらい楽しくするのか、幸福を醸すのか、
それがその瞬間の私達にかかっている。

「どうなるのか」それは、誰にもわからない。
それを「どうしたい」「どうする」のかは、私達次第。

先月、姪っ子が生まれました。
その子の20年後の世界がどうなっているのか?
それは、誰にもわからないけれど、
私は、「一緒に楽しい時間をすごしたい」
そのために、「.......」。

昨日を送り、明日を思い、今日を生きる。