木曜日, 4月 27, 2006

命の鎖

今日の札幌は少し春めいた、
どことなくポカポカな日だった。

相変わらずバタバタと過ぎてゆく毎日ではあったけれど、
うれしいことがいくつかあった。

まずは、こちらに来てできた友人が就職の内定を決めたこと。
彼女はロケットを作るそうだ。
「Wimen(いい女は、私の人生を祭にする)」
の祭囃子(まつりばやし)の一人、楽しみな友人が増えた。
明日は、彼女の祝賀会で札幌の夜にくり出す。


二つ目は前の職場から、私の代わりの新らしい人が決まったと
2通もメールが来た事。
やめてしまった私に、報告していただける配慮にじんと来ました。

おそらく、大学を卒業してから普通に就職をする人達は、
新しい職場で新たな人間関係を築いてゆくのでしょう。

大学を卒業してから、短い期間でも働いてから
大学院に戻った私は、貴重な人の「つながり」を築けたのかもしれない。
これからも「つながり」を大事にしつつ、
分野にとらわれない「つながり」をひろめてゆきたいものです。



そして最後に、私が叔父さんになることである。
私には、98才になる祖母と92才になる祖父がいる。
祖母の方は高齢のため、最近調子が良くないようであるが、
そんな話のなか、今回の話。

なにか「命の鎖」を感じてしまった。
このめんめんと続いて来た「命の鎖」、
きっと,もとをたどれば、地球に生命が生まれた瞬間まで続いているのだろう。

「生きている」という時間は、
ほんの一瞬だけれど「命のバトン」はこれかれもつぎからつぎへと受け継がれていくのだ。

ながい数直線上の、一点に過ぎない自分、
すべての命の鎖、ときに絡まり、またはなれ、枝分れし、そしてまた絡まる。

物理的空間的束縛された現時点に存在する自分がある種の奇跡のような気がする。

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